弔辞    

    佐藤賢了
    (友人代表・東急管財KK社長・元陸軍中将)

岩畔豪雄君、あまりに突然の御逝去に会し、幾多の想い出がこみ上げてきます。

私が泥沼の支那事変に疲れ切つて陸軍省へ帰つて来ると、君は軍事課長の椅子を退き、アメリカへ行こうとするのにバッタリ会つたとき、「一寸アメリカへ行つて、支那事変を何とか解決しようと思つてね」との余りに意外な言葉に驚かされました。人の意表に出るは戦略の奥義であり、それがまた君の特徴でありました。

待つ間程なく野村大使から、日米交渉開始の請訓が届きました。その基礎である日米諒解案は、一目君の筆になるものであり、米国は日中和平を仲介し、経済圧迫を解決する等タナボタ式の福音であり、しかも普通の外交々渉によらず、ルーズベルト大統領と近衛首相とがホノルルで直接会談して、大乗的に日米衝突を避けようとするものでありました。

恰も西郷隆盛と勝海舟の両雄が、ポンと胸を叩いて、江戸を戦火から救つたのと同じ破天荒の構想でありました。これが実現したら日本はアノ惨めな敗戦を戦わず、蒋介石も台湾に逃げ込まず、中国大陸を赤一色に塗りつぶすこともなく、そして米国も、現在ベトナムの泥沼戦争に苦しむこともなかつたでありましよう。

君は実に救世の英雄となられたはずでありました。私はただただ天を恨み、世を呪う外ありません。

岩畔君、死してもなお、お国と民とを護つて下さい。    合掌