岩畔さんを偲ぶ
        水野 成夫氏 フジテレビジョン
        (現:フジ・メディア・ホールディングス)初代社長元経団連理事

 岩畔さんは私や南喜一君を世の中に出してくれた恩人です。
 岩畔さんに始めてお会いしたのは、昭和十五年、陸軍省軍事課長をして居られた時です。
 以来今日まで深いご交誼を載いて来ました。
 岩畔さんは常に直立不動の姿勢で生きていられました。いかなる場合でも姿勢をくずすことはありませんでした。したがって私や南君のようなデタラメな人間も、岩畔さんにお会いすると、自ずから直立不動の姿勢になったものです。と言っても岩畔さんは、心の中は常に温かく、親切に、真面目に、人のこと世のことを考えている人でした。岩畔さんは典型的な武人でした。私はかげで岩畔さんの名をお呼びするときには、いつも閣下とか将軍とかいう尊称をつけていました。大佐の時代からです。

 岩畔さんのことで強く心に残っているのに、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃があります。岩畔さんは東条内閣を代表してアメリカに渡り、ハル国務長官と折衝を続けていたのですが、「これは日米の戦争はさけられる」と考えたほど、ハル国務長官との交渉は円満に進んでいたのだそうです。これを一遍にふつ飛ばしてしまったのが、あの真珠湾攻撃を開いたときの無念さは今でも忘れられない」と岩畔さんは後々まで言っていました。

 中田英秀さんから開いたのですが、岩畔さんは大往生された時、いいお顔をしていられたそうです。ご子息も立派に成人され、念願の哲学書も書き上げられたので、安心立命の境地にあられたのでしよう。私たち後輩にとっては、これがせめてものなぐさめです。